それでも一向に涼しくなる気配はなく、むしろ蒸し暑いばかりだ。
僕はげんなりして呟いた。
「雨季か・・・」
「呼んだ?」
背後から、やけに陽気な声が聞こえた。
驚いて振り向く。
「・・・誰?」
そこには、全身毛むくじゃらでかろうじて腰ミノだけを身に付けた小柄なおじさんが立っていた。
到底文明人とは思えない。
誰? というか、何?
「いや、今、俺のこと呼んだよね?」
おじさんはフレンドリーなトーンで、こちらに近寄りながらそう言った。
「呼んでない・・・ですけど」
「え。だって今、ウキって」
「あ、ああ。雨季。言いました。あなた、ウキさん?」
「いかにも、ウキです」
「すみません、違います。ウキさんを呼んだんじゃなく、雨の季節、『雨季』だなって」
僕はやたらと近寄ってくるおじさんに、一歩引きながら釈明した。
ちょっとキモい。
「あーあーあー、『雨季』。なるほどなるほど! そうかそりゃ早とちり!」
何が面白いのかケタケタと笑うおじさん。
キモい。っていうかウザい。
ちょっと、何か色々勘弁してよねー。
僕は体毛の濃いおじさんに、更に一歩引く。
こういう無駄に陽気な人間は、嫌いだった。
「けどよー、あんまりハズレってわけでもないんだ」
と、急に神妙な顔になって、おじさんは続けた。
「この雨な・・・実は俺が降らせてんだよ」
・・・何を妙なことを。
「はあ」
僕は曖昧に頷いて、その場を濁した。
冗談は体毛だけにして欲しい。
というか、だ。
このおじさんは、本当に人間だろうか。
猿のように濃い体毛、腰ミノのみのスタイル。
現実離れしているといえば、十分に現実離れしている。
これではまるで。
「鬼、なんだな」
そんな僕の思考を読む、一言。
心臓がドクンとひとつ弾んだのが分かった。
「おに・・・?」
「ああ、鬼さ。雨の鬼、つまり――『雨鬼』」
「そんな、馬鹿な」
僕は言いながら、しかし嘘ではないんだろうなと感じていた。
その雰囲気が、気配が、佇まいが、人間ならざる何かに思えて仕方がなかった。
「兄ちゃん、もうしばらく雨宿りしといてくれ」
「え?」
「俺、もう一仕事しなきゃならねえ。ここで会ったのも何かの縁だ、教えとくよ」
「あ、ああ・・・そうですか」
「じゃ、これで。変な勘違いで呼び止めて悪かったな」
ポンと僕の肩を叩いて、おじさんは。
雨鬼は、去っていった。
土砂降りになった雨が、不自然にその身を避けている。
ああ――当分僕は、この心もとない屋根の下で雨宿りを続けなければいけないらしい。
溜息を吐いて、長居の覚悟を決めた。