2012年08月16日

【連作/夏の雨】2.melt

私はもう、今日一日のことでさえ、鮮明に思い出せない。

死が近い。

それは私が一番よく分かっていた。
蝕む病魔はゆっくりと、確実に私を壊していく。
縋るべき自我は薄れ、意識は混濁し、夢も志もとうに失った。

はて・・・ならば私は、何をこんなに悲しんでいるのか。
この身の痛みすら漫然と受け流す今、何を嘆く必要があるのか。
そんな、投げやりなことを思う。

例えば。
今朝、私は何を食べただろう。
食は人生における楽しみの代表といえる。
日に三度、その喜びを噛み締めているはずなのだが。
しかし、記憶は曖昧でイメージはぼやけていて、はっきりとしない。
そもそも、私は本当に朝食を食べただろうか?
夢現のうちに、食べたと思い込んでいるだけではないだろうか?
否、思い込んですらいない。
時計を見て、午前9時を回っているから既に朝食は食べたはず、と。
そういう機械的な刹那的な判断を下しているだけではないだろうか?

無機質な病室から、外を眺める。
空は灰色に淀んでいた。
この小さな窓の向こうでは、今も慌ただしく世界が回っているのだろう。
日は昇り、人々は働き、遊び、そして明日を待ち遠しく思うのだろう。
それが何だか、無性に腹立たしかった。
イライラと、私は唇を噛む。
出血するほどに、強く。

ああ、妬ましい。
何が?
平和に生きていけることが。
喜び、笑い、楽しみ、慈しみ合うことが。
私は、実に、妬ましい。
この朽ちかけた身では叶わぬ全てが羨ましく、やがてそれは絶望に変わった。

――死が、近い。

十全に生きたとはとても言えない。
通常の半分、否、3割にも満たない、実に短い人生だった。
だからこそ、未知の幸せ全てが、私を責め立てるのだ。
くだらぬ人生だったと。
つまらぬ生涯だったと。
何も成せぬ、何も残せぬ、何も果たせぬ、一生だったと。

罵る。
見下す。
嘲笑う。

うんざりだ。
ああ、もうたくさんだ。
ガラスの窓にへばりついて、私は小さく呪詛を吐く。

降りだした雨に、世界全てが溶けてなくなればいいのに。
儚い私の記憶のように、消えてなくなればいいのに。

隔絶されたひとりの世界で。
自分以外の全てを憎み。
私は意識を失った。
タグ:夏の雨 小説
posted by いずみ at 10:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 超短編小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月15日

【連作/夏の雨】1.雨宿り

雨が降っている。
それでも一向に涼しくなる気配はなく、むしろ蒸し暑いばかりだ。
僕はげんなりして呟いた。
「雨季か・・・」

「呼んだ?」

背後から、やけに陽気な声が聞こえた。
驚いて振り向く。
「・・・誰?」
そこには、全身毛むくじゃらでかろうじて腰ミノだけを身に付けた小柄なおじさんが立っていた。
到底文明人とは思えない。
誰? というか、何?
「いや、今、俺のこと呼んだよね?」
おじさんはフレンドリーなトーンで、こちらに近寄りながらそう言った。
「呼んでない・・・ですけど」
「え。だって今、ウキって」
「あ、ああ。雨季。言いました。あなた、ウキさん?」
「いかにも、ウキです」
「すみません、違います。ウキさんを呼んだんじゃなく、雨の季節、『雨季』だなって」
僕はやたらと近寄ってくるおじさんに、一歩引きながら釈明した。
ちょっとキモい。
「あーあーあー、『雨季』。なるほどなるほど! そうかそりゃ早とちり!」
何が面白いのかケタケタと笑うおじさん。
キモい。っていうかウザい。
ちょっと、何か色々勘弁してよねー。
僕は体毛の濃いおじさんに、更に一歩引く。
こういう無駄に陽気な人間は、嫌いだった。

「けどよー、あんまりハズレってわけでもないんだ」
と、急に神妙な顔になって、おじさんは続けた。
「この雨な・・・実は俺が降らせてんだよ」
・・・何を妙なことを。
「はあ」
僕は曖昧に頷いて、その場を濁した。
冗談は体毛だけにして欲しい。
というか、だ。
このおじさんは、本当に人間だろうか。
猿のように濃い体毛、腰ミノのみのスタイル。
現実離れしているといえば、十分に現実離れしている。
これではまるで。

「鬼、なんだな」

そんな僕の思考を読む、一言。
心臓がドクンとひとつ弾んだのが分かった。
「おに・・・?」
「ああ、鬼さ。雨の鬼、つまり――『雨鬼ウキ』」
「そんな、馬鹿な」
僕は言いながら、しかし嘘ではないんだろうなと感じていた。
その雰囲気が、気配が、佇まいが、人間ならざる何かに思えて仕方がなかった。

「兄ちゃん、もうしばらく雨宿りしといてくれ」
「え?」
「俺、もう一仕事しなきゃならねえ。ここで会ったのも何かの縁だ、教えとくよ」
「あ、ああ・・・そうですか」
「じゃ、これで。変な勘違いで呼び止めて悪かったな」
ポンと僕の肩を叩いて、おじさんは。
雨鬼は、去っていった。
土砂降りになった雨が、不自然にその身を避けている。

ああ――当分僕は、この心もとない屋根の下で雨宿りを続けなければいけないらしい。
溜息を吐いて、長居の覚悟を決めた。
タグ:夏の雨 小説
posted by いずみ at 15:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 超短編小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月03日

【超短編小説】8月15日

木造の旧校舎の屋上が、約束の場所だった。
暑い日差しの中、純白のワンピースに麦わら帽子の少女が微笑む。
「やあ。今年も、来たよ」
僕はつられて小さく笑い、頷いた。

今日は、8月15日。
毎年、一日だけ、おばあちゃんが帰ってくる日だった。

「お父さんとお母さんは元気かい?」
「うん、元気だよ」
「そうか、それはよかった。二人共、まだこっちに来るには早いからね」
「おじいちゃんも、元気だよ」
「・・・あの人はそろそろこっちに来てもいいような気もするよ」
おばあちゃんは嬉しそうに、少し寂しそうに、そう言った。

お父さんとお母さんが度々喧嘩をしていること。
お兄ちゃんが高校受験でピリピリしていること。
飼っている猫がどこかへ行ってしまったこと。
どうでもいい、だけど大事な話をする。
おばあちゃんは、そのひとつひとつを優しく笑って聞いている。

「それと」
「うん、どうした?」
僕は、どうしても言わなきゃいけないことを、口にする。
「僕、今年で小学校卒業なんだ」
「おお、そうだったね。もう6年生だったか」
「うん。だから、来年からは――もうここに来れなくなっちゃうんだ」
旧校舎は、勿論小学校の中にある。
中学生になったら・・・多分、入ってこれない。
「そうか・・・あんたももう中学生なんだね。早いもんだ」
言って、くしゃくしゃっと僕の頭を撫でる。
「なら、いつまでもこうやってばあちゃんと会ってちゃいけないねぇ」
「そんな」
「中学生になって。高校生になって。もうあっという間に大人だ」
そしたら、ばあちゃんのこともきっと忘れるよ。
そんな、悲しいことを言う。
「僕は・・・忘れないよ」
「いいのさ、忘れて。ばあちゃんは死んだ人間だ。生きてるあんたたちは――
 そんなこと忘れて、しっかり自分の人生を生きなさい」
「おばあちゃん・・・」
少しの沈黙。
そうしてる間に、時間は簡単に過ぎていく。
ああ、とおばあちゃんは思い出したように声をあげた。
「もう時間だね」
「・・・そっか」
毎年のことながら、あっという間だ。
そして、多分、今年で最後だ。
僕は急激に悲しくなる。
そんな僕を見透かしたように――

「いい大人になるんだよ」

おばあちゃんは、そう言って。
ふっと、初めからいなかったかのように、掻き消えてしまった。

少し涙が浮かんだ両目を擦って、僕は屋上を後にする。
「大人になったって、忘れないよ」
そんなことを呟いて。
タグ:小説
posted by いずみ at 16:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 超短編小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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